同窓会報 礼賛

過日、川越高校同窓会報第74号の発行発送を無事完了いたしました。同窓会員の皆さまのお手元に届きましたでしょうか。

会報を手にしていただき、読後の感想をいただきました。一部ですが、紹介させていただきます。

 

● 県立川越高等学校定時制入間川分校の思い出

山下末次男氏(定6回生)

私は近年川越高校同窓会の会報がとどくと、その新加入者名簿と定時制高校の記事を探すようになりました。自分に川越高等学校生時代があったことを確認するというところです。私は1951年新制中学校を卒業して町の印刷屋に見習工で就職し、同時に入間川分校へ入学して1955年に卒業しました。

見習工の賃金は1500円で3か月後に1800円になりました。もっとも当時の授業料は月500円で、間もなく800円になりました。私は部活に音楽部を選んだのですが、入学した年に音楽部はなくなり、音楽部希望者は演劇部へまわされました。これがきっかけで私は高校生活を演劇活動に熱中してしまいました。

私は2年の中ごろになると駐留軍の入間基地で働くようになりました。英語が話せるのが魅力でした。最初はアメリカ兵のルームボーイで収入は3500円、2年目には軍のクラーク(事務)に応募して収入6000余円になりました。昼間は働き夜学校ですから時間の余裕がありませんが、ほとんど自腹による演劇部の活資金に余裕さえ出ました。そして私には内心大学進学も視野に入ってきたのです。それでも自分の卒業祝典には後輩とともに卒業生を送り出す側にまわり、年一度の劇上演に熱中しました。

私の高校生活4年間は、人生で初めて必死に生きた、熱中して生きた時代といえるかもしれません。

80歳になったいま、とてもなつかしい青年時代です。この一文がこれからの川越高校の歴史、あるいは同窓会運営に参考になればと思い、お送りします。その後1年して私は早稲田の第2政経学部へ進みました。

 

 

● 故 鈴木松寿氏(高5回) ご内儀様より

奥様からご丁寧なお手紙をいただき、編集子としてはうれしい限りです。会報の特集「川高から制服が消えた日」に興味を持っていただき感謝申し上げます。