五百羅漢は川越北田島の志誠(しじょう)という人物が、父母の冥福のために天明2(1782)年から作り始め、造立は喜多院の学僧に引き継がれて500体を越えるようになった。取り巻く周囲の樹木の様子は今とはだいぶ違う。ここに写っている羅漢像は今より彫りが明瞭であり、位置も一部現在とは違うものもある。