鈴木聞多さん(中29回)陸上競技選手

 鈴木聞多さん(中29回)ベルリン・オリンピック100m、4×100mRに出場した名スプリンター

 大正5年4月1日比企郡三保谷村(現川島町)に誕生。大正15年4月8日29回生として川越中学校に入学。競技部に入部し、4年生になった昭和4年、一気に才能が開花する。10月法友倶楽部関東陸上競技大会100m11”7。200m24”4と2種目で優勝。続く水戸高校近県中等学校陸上競技大会は100m11”7で優勝。200mは2位だったが23”9と自己記録を伸ばす。 昭和5年全国中等学校陸上競技大会。鈴木は100mと200mにエントリー。100mは11”1、200mは22”7で堂々の2冠を達成した。

 鈴木聞多は、川中卒業後、慶應義塾大学に進学し目覚しい活躍を見せる。昭和10年 第10回極東選手権マニラ大会200m5位。同年の早慶対抗陸上大会100m 10”6で優勝。国際学生陸上競技ブタペスト大会100m 10”8 準優勝。5ヶ国対抗陸上競技大会100m 10”6 優勝。

 昭和11年のベルリンオリンピックは100m、4×100mRに出場した。100m2次予選では優勝したアメリカのオーエンスと走った。ベスト記録は100m10”6 200m21”6 400m50”0であった。因みに現在の川高ベスト記録は100m 10”76 200m 22”17 400m49”69である。トラックやスパイクなどの発達を考えると驚異的な記録である。            (敬称略)

 昭和14年7月10日 中国で戦死 享年26歳 陸軍少尉 川島町にあるお墓は当時の陸軍大臣荒木貞夫の揮毫である。

 5カ国対抗陸上競技大会100m優勝 10”6のスナップ