岡田恒輔さん(中1回) 初のOB校長

 岡田恒輔さんは、明治16年西武秩父線吾野駅近くの素封家に生れた。父は医者の2代目であったが、学者を目指し川越中学校。第一高等学校文科、東京帝国大学文学部哲学科で学ぶ。明治43年帝大を卒業し、熊本県の県立中学校を振り出しに36年間に亘る教育者としての第一歩を踏み出した。昭和12年から6年間第7高等学校(現鹿児島大学)、昭和18年からは埼玉師範学校(現埼玉大学教育学部)の校長を務めた。大正8年から2年間、母校である川越中学校の校長を務めた。はじめてのOB校長である。大正9年には現川越高校図書館の前身である「明治文庫」を開設、多くの私財を投じ推進した。

敗戦後、新制大学の誕生など教育体制が整うと一切の公職を辞し、趣味の絵を描き、渓流釣りや読書三昧の生活を送り昭和35年80歳で永眠した。昭和14年勲1等瑞宝賞受賞。昭和20年には従三位に叙せられた。