灯火親しむ頃

図書館では生徒諸君が机に向かっている光景をよく目にする。陸上競技大会で完全燃焼したかと思えば、今は身近に迫る中間考査に向けて粛々と準備をはじめている。川高生おそろし。

 打木村治氏(旧制川中20回)の小説『大地の園』(1978)の一節を紹介しよう。  (挿絵 竹部本一郎氏)

主人公は唐子小学校から埼玉県立川越中学校(いまの川越高等学校)に大正6年(1917年)4月入学。第一部「学びの門」で学園生活が物語られる。当時旧制中学校では、新入生にとって恐ろしい存在の5年生から集合の声がかかり、説教を始めるシーンが描写される。

「わが川越中学校には〈強制運動〉というのがある。毎年五月から秋まで続ける。・・・じつはもっと遠大な理想もふくまれている。つまり川中生全体の精神と肉体の練磨と、それの永遠の向上だ。そのために、毎日放課後・・・毎日だぞ!一時間、運動を強制的にやらせる。・・・ところでおまえたち一年生は、さしあたりランニングだ。ただ駆ければいいんだ。決められた一定距離を、往って帰ってくればいいんだ―川越・大宮間のチンチン電車(現在の東電あたりに駅舎があった)があるだろう、その線路わきの県道を、伊佐沼までいって帰ってくるんだ。・・・」

今の時代に強制運動とはなんともいただけないが、先生ではなく、上級生が説教するところが川中らしいかもしれない。伊佐沼に向かって東に走る田んぼのあぜ道をひたすらランニングして基礎体力を養うことは、少なくとも大正時代には既に始まっていたようである。伊佐沼までおよそ往復5kmのランニングは、多くの同窓の方々が体験されていることではないだろうか。

文武両道を校是とすることは今に始まったことではない。

 

 かつて川越高校の教壇にも立った国語教師佐々木信治氏(旧制川中25回)に『朝の鳩』という歌集がある。その中より三首。

ふり仰ぐ 母校のいちやうよ 垣ぎはに おちゐしその実 掌にのせ帰る

黒板を 離れしチョークの 粉は舞ひ 粒子おのおの 秋日をかへす

答書く 無我の生徒ら 消しゴムを 置く音続く ことりことりと