語りつがれる夏 ~そうだ 応援、行こう~

2018年(第100回)全国高校野球選手権記念 南埼玉大会組み合わせが決定しました。

本校の試合は7月8日(日)上尾市民球場第1試合(9 時開始)。

対戦校は、岩槻高等学校です。

同窓諸兄姉におかれましては、お忙しいところとは存じますが、

お時間をお繰り合わせの上、ぜひ球場まで足をお運びいただき、

よりいっそうのご声援を賜りますようお願い申し上げます。

 

● 〈語り継がれる夏1〉

石山薫氏(旧制川中43回)のエッセイ『昭和も遠く』(昭和63年発行)を偶然手にしました。

筆者は、昭和ひとけたの時代、町の商家の子供たちは何をして過ごしていたのか、思い出すままに書き記しています。

その中の『中等野球』というタイトルに目が留まりました。

戦争になる前、平和な時代の川中球児と応援する市民の人たちの野球熱に思いを馳せてみました。

一部分ご紹介します。 

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戦前、といっても太平洋戦争が始まる前の中等野球熱は大変なものであった。当時、川越中学は埼玉県大会で、常に優勝を争っていた。この通称川中に対する市民の声援は、今日からは想像できないほどである。

7月に入ると、毎夕、多くの市民(数百名はいたと思う)は、夫々、団扇をもって蓮馨寺の境内に集まった。鐘楼の壇上からK応援団長の檄。次いで、床屋のケンちゃんによる三三七拍子の猛練習が延々と続く。最後に、K時計店のおやじさんが壇上にあがり、声涙くだる演説をした。彼は激してくると、諸膚をぬぎ、胸をポンポンとたたいた。そして、『明日は全員大宮球場へ!』と叫んでしめくくった。群衆の『ウォー!』というどよめきが、境内にこだました。

その頃、川越から大宮に行く唯一の交通手段は、マッチ箱のようなチンチン電車であった。荒川にかかった木橋を渡る時、ガタガタいったので、町の人はガタ電と呼んでいた。橋の上ではレールが沈み、いまにも転落しそうであった。それでも、川越からの出場校が残っているうちは、連日満員であった。

わが家の番頭Mさんは、何よりも野球が好きで、予選が始まると落ち着かなかった。夏は暇になる商売でもあったから、母は時折、『子供を乗せて大宮に行ってきたら』といった。

リヤカーに茣蓙を敷き、その上に座布団。Mさんは私たち兄弟を乗せて、自転車のペダルを踏んだ。炎天の中、でこぼこ道を二里半。

スタンドは太陽が照りつけて暑かった。対熊谷戦の時は、相手の応援席に向かって、『ゴカボー!』とやじる。すると、『サツマイモー!』と返ってくる。浦和中学に磯貝という好投手がいた。『イソガイ来い! 誰でも来い!』と揃って蛮声をはりあげた。

勝って帰るときは、家につくのが早かった。負けた帰りのリヤカーは、どんなに重かったことだろう。その上、途中で烈しい雷雨にあったこともある。

県大会で川越中学が優勝した。この夜の蓮馨寺境内は、興奮の坩堝と化した。車で凱旋した選手が、優勝旗をもって壇上にあがる。一人一人の選手紹介。拍手の波!やがて、三三七拍子。K時計店は目に涙。彼は絶叫した。『いざ、北関東大会へ!』『ウォーッ』という市民の大歓声。町中が歓喜に沸騰しているようだ。

しかし、北関東への壁は厚かった。大概、桐生中学や高崎商業の強豪に惜敗し、甲子園への道は遠かったのである。(以下略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 語りつがれる夏2〉 -2002年- (7月14日 二回戦 対戦校 不動岡高等学校)