「 我 が 街 川 越 」 ~ くすの木物語心覚え ~

📹「 我が街川越 」(1986)(映像)

今から35年ほど前に「我が街川越」(企画制作川越市 19864.15)という貴重な番組が放映され、3つのくすの木の話が紹介されています。画質を落としており、見づらいとは思いますがご容赦願います。

川越小学校正門前の郭町に住んでいた佐々木賢吉氏がくすの木のことについて生前夫人に語られたと言います。「67歳の折、当時入間郡役所に奉職中の知人清水某氏から、くすの木の実数粒を入手し、そのひとつを自宅の庭先に、殆ど同じ日に川越中学校校庭に、そしてもうひとつは御嶽山富士見櫓境内に播いた」とのこと。播かれたのは夫人が嫁ぐ10年前、明治32年のことです。埼玉県第三中学校創立の年にあたります。

創立100周年記念誌『くすの木』(HPでご覧いただけます)の中に、くすの木についてのコラムがあり、その歴史が伝えられています。本校生物学教諭であった愛川敬武氏(愛称‘ペッパー警部’、自然科学博物館の教え子伝)は専門の観点から、それぞれの楠の幹回りを計測、その成長速度などから年輪数を推し量り、くすの木の半生を検証され、佐々木氏夫人の伝聞や御嶽山の伝え聞きなどをもとに、くすの木の「芽生え」そのものは明治3031年の頃になるだろう、との仮説を立てられました。佐々木夫人の話は大方間違いなく本校創立の年代とほぼ同じであろうと断じ「樟樹亭亭仰止」と結語されています。そして高山孝氏(高7)が井泉水の句を受け「さらに百年天ささえたる大楠樹」と詠めば、本校職員であった関口弘氏(高4)は「千枝に分かれて、恋する人の例に言はれたるこそ、誰かは数を知りて、言ひ始めけむと思ふにをかしけれ」と清少納言の言葉を紹介されています。けだしくすの木の話は千枝に分かれ尽きることはないと言えそうです。